2009年3月アーカイブ



今日、嘔吐下痢症の方が5人受診


点滴したのは2人


また、2人は下痢症状は強くなかった


しかし、嘔吐と上腹部痛が著明


また、全員女性で30~40歳 全員子持ち


学校で流行っていて子供からうつったらしい



学校の感染対策が大事だなー


伝研の怖い話

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 ◆捕虜を使った人体実験は極秘ファイルに


 マッカーサー司令部の内部ではすでに発表された通り、B・C級戦犯による戦争犯罪の捜査・訴追を担当する特別組織が発足していた。アルバ・C・カーペンター大佐を部長とする法務部は国際検察局からは完全に独立した組織だった。日本全国に支部を置き、法務部調査・訴追課がいわゆる小物日本人戦犯に対する訴訟を一括して担当した。


 B・C級犯罪を裁くという軍事命令は、アメリカ第8軍司令官によって発令され、1945(昭和20)年12月、マッカーサーによって認可された。中国、フィリピン、太平洋諸島で行われた裁判もあったが、合計314件にのぽるほとんどの審理は横浜で行われた。これらの法廷で、医学的残虐行為については様々な証言がなされ、特別に分離して扱われた。もっとも良く知られている最悪の事件は、横浜法廷で法務部が明らかにしたもので、1945(昭和20)年4月以降に九州の日本西部軍によって捕らえられた米軍パイロットの末路だった。彼らが受けた恐ろしい実験には、生体解剖や血液と海水を交換するというものさえあった。このような残虐で野蛮な行為に対して、1948(昭和23)年8月27日、これに関与した九人の日本人が絞首刑または終身刑の判決を受けた。その中の一人、九州大学の石山教授は刑務所で白殺している。


 法務部は、日本の病院の多くで捕虜に残虐行為が行われていたというおびただしい数の証拠を抱えていた。様々な情報源からマッカーサー司令部に入った情報によると、東京および東京近郊の九か所の病院で捕虜に対する実験が行われていて、その中には七三一部隊の活動に直接つながるものもありそうだった。


 法務部調査課はこのような病院それぞれについて事件ファイルを設け、捜査を始めた。さらに東京帝国大学の伝染病研究所(伝研)にも捜査の手が伸びた。


 東京帝大は、北野が隊長を努めていた期間は、七三一部隊への細菌学者の主要な供給元となっていた。法務部が伝研のケースを1117号として捜査を開始したのは、マッカーサー宛にある手紙が届いてからのことで、その内容は捕虜が伝研で細菌実験に使われていたというものだった。以前伝研を管轄していた文部省への問い合わせに対して、伝研に捕虜が監禁されていたことはないし、実験についての情報はまったくないという回答を得たが、スミス捜査官は、手紙で指名されていた医者のうち二人が死亡していることをつきとめた。一人は自殺、そしてもう一人は不審な死を遂げていた。


 スミスはこの事件を起訴に持ち込むことは許されなかったが、おそらくそれは伝研があまりにも七三一部隊と関係が深かったからに他ならない。1942(昭和17)年の失敗に終わった浙江省の細菌戦当時石井司令部だった、悪名高い多摩部隊とも間違いなく関係があったはずだ。法務部の捜査によって、東京周辺だけで九か所の病院で捕虜を使った人体実験が行われている事実が判明したにもかかわらず、さらに横浜法廷では細菌戦とかあるいは捕虜に対する細菌学的人体実験についていっさい言及されることはなかった。


731部隊の生物兵器とアメリカ、ピーター・ウイリアムズ著、かもがわ出版、155-156page




学会は一種のお祭りですね、みんなが集う。


それでいいのかもしれません。


福岡に帰ってくると、虚脱感におそわれます。なぜでしょう?


1年ぶりのオフ会も楽しかったですね。


もっと居たかったです。


学会は人が多すぎて、聞きたい講演も聞けないことが多かったです。


テレビをつけるか、サテライト会場を作るかしないと、


学会に来た意味がないですね。


もちろん弁当にはありつけませんでした。


こころを鎮め、頭を冷やして、また日々の仕事に取りかかりましょう。